hitsmanのブログ

糸島で一応100キロウォーカーにはなったんですが…

思い出の1月3日

私も一応100キロウォーカーなんで思い出がある

嫁が長ズボンとパンツを買ってくれた。愛娘が買い物に行く時に頼んでたらしく、LかMで迷ったがマネキンが180cmでMを履いてたらしいから決めたとの事、とりあえずレシートあるからと着てみることに!

嫁「アンタ、サイズはLでも足の長さはMヤロ!キャッハッハッー」

・・・嫁よ、俺の股下は84cmだ!イヤ?87cmだったか?まぁほぼ90cmという事で!とにかく嬉しい!

私、長ズボンには特別な思いがあり・・・。

今の世の中、身長180cmを超える大人なんて、特に珍しくもないんだが・・・

福岡に引っ越して来たのは小学4年生の二学期、丸坊主に半袖、半ズボンの148cmの大阪弁の男子は田舎の小さな町の小さな小学校ではすぐに有名になる!多少人見知りの私でさえも少しずつ友達が出来た。

南国九州とはいえ12月には雪が降り、年が明ける1月には毎年、子供の膝ぐらいまで雪が積もっていた

・・・しかし、何故か長ズボンがウチには無い?こんなに雪深い生活にもなったのに?母親の口癖はいつも「子供は風の子元気な子」と言うもんだから、仕方なく家にも居られず外で遊ぶ日々!何して遊んでたのかさえ覚えてない。

1年後、身長も10cmほど伸びていた私だが、服装は常に半袖、半ズボンのまま?少しませた男子はジーパンはもちろんのこと、ランドセルはとっくに卒業し肩掛けバッグ!平凡な子でさえジーパンは履いている。長ズボンをねだるとやはり怒られる、家に居ると「子供は風の子」と言われる。せめてジャンパーを買ってくれと言うと買ってくれたのはトレーナー。こうして丸坊主、トレーナー、半ズボン&身長160cmのランドセルをカラった5年生が誕生した。ましになったとはいえ寒い、私の身体は寒さから私をを守る為、太ももに大量に毛を生やした。ドンドン身長が伸びとても小学生に見えない私!バスや電車に乗る時に「この子は小学生です」と説明するのが面倒で長ズボンは履かせないと母親は理由を述べていたが、6年生になると既に170cm近くある身長、毛の生えた太ももに半ズボン、ランドセルからって、声変わりも済んだ大人の声!こうして少しひねた6年生が誕生した。

そんな私を見かねた友達が「ふーちゃん、ふーちゃんよりも凄い子が4組におるばい」と1人の男の子を連れてきた。名前は覚えてないが、あだ名は「ジーコ」スラットしたこの男子は、一年中半袖、半ズボンしかもランドセルだと紹介してくれた。ジーコは無表情で無口!何故コイツのところに連れて来たのか不思議そうだ!友達には悪いが、私も連れて来られても何て声かけていいかわからない!そもそも学年に、たった2人しかいない半ズボンが2人揃ったら、いい見世物だ!本当に友達には悪いが、その時は怒りを感じたぐらいだった。

「夏」と言う言い訳が過ぎた秋頃から、たまにジーコと遊ぶようになった、何をして遊んだかはわからない、ただジーコは無口な人、会話も弾まなくすぐに帰った記憶はある。それでも、似た格好!ジーコといると恥ずかしくない、そんな失礼な小学生が誕生していた。

冬休みに入り何の用事もない時はジーコと一緒にいた。どちらか声をかけたのかは解らないが正月3日小学校で待ち合わせをして遊ぶようになった。

私は家から歩いて2分ほどで小学校に着く、先に着いた私が遠くを見ると、ジーコらしき人がボールを蹴りながら歩いて来る?

ドンドン近くなって、やはりジーコ?今まで無表情で無口な人ジーコがニコニコしながら「ドライブシュートの練習をする」と言う?多分キャプテン翼の影響なんだろう!「じゃー俺がキーパーすればいいの?」と聞くと「いや後ろで見てて」と言う?・・・えっ?君は翼で俺はキーパー若嶋津じゃないの?後ろからって?俺は何役になればいいの?

それからジーコは、ただただ必殺シュートを編み出す為にボールを蹴っていた。その後ろでたまに褒める俺

・・・結局、夕方まで続いた。

ジーコ、生まれ変わったら「一緒」に遊ぼう、そして出来れば野球をしよう!

ジーコは今でも半袖、半ズボンなんだろうか?

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